人生の果てに、勇気を振りしぼって呼ぶその名―「家族」

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[ホスピタリスト日記] 5

写真=クリップアートコリア
写真=クリップアートコリア

「ああ、連絡する人が誰もいないなんて。煩わせないで、ただ一人で死なせてください。」

彼は私たちの病棟に初めて入院したときから荒っぽく言った。患者情報欄には「保護者なし」と書かれていた。

ひどい黄疸で目が黄色く、顔と体が青黒い色を帯びている、この70代の患者は、胆管癌が肺と肝臓、骨にまで転移しており、抗がん治療もできない状態だった。腫瘍で詰まりかけた胆管を通し、ステントを入れる処置を行うと黄疸は少し改善したようだったが、呼吸が次第に苦しくなり、鼻チューブで酸素に依存しなければならなかった。いくら医療が発展しても、彼の状態を元に戻すには力不足だった。

彼とあれこれと生きてきた話を交わすほどに親しくなったころ、私は彼のベッドに腰かけ、言葉を紡ぐのに苦労しながら口を開いた

「誰にでも最後の瞬間は必ず訪れます。私も、患者さんも、いつか必ず経験することです。でも、患者さんは今、病気がかなり進行していて、突然危険な状態になることもあります。もしそういう状況になったら、どうしてほしいか考えておられますか?人工呼吸器や心臓マッサージといった延命治療という言葉は聞いたことがありますか?」

彼はしばらく口を閉ざしていた。顔には後悔と哀しみが交錯していた。やっと、小さな声で答えた。

「一生、好き勝手に生きてきて、家族を苦しめてばかりだったのに…。どんな顔をして、これ以上何かをしてほしいなんて言えますか。自然に去りたいです。」

彼には家族がいたのだった。ろくな仕事にも就かず建設の日雇いで働きながら、生活が苦しくなり酒に溺れていたと言った。彼を恨む家族に暴力を振るったこともあった。息子と娘がいたが、40代で離婚して以来、一度も会ったことがない。

「もっと遅くなる前に、会っておきたいとは思いませんか。

たとえそれでもお父さんが、もうこの世にいないかもしれないということを、子どもさんたちも知っておくべきではないでしょうか。」

「面目がない。連絡先も知らないです。それでも会えるなら…。」

彼が住んでいた町の役所に助けを求めた。最近は行政がうまく機能しているのか、数日後に息子と娘が仁川に住んでいることが確認された。役所の職員がまず息子に連絡し、簡単な説明をして同意を得た後、息子の電話番号を教えてくれた。

私は息子に電話をかけ、患者の状態を詳しく説明し、臨終が間近に迫っていることを、そっと伝えた。そして、お父さんがいつも家族を恋しがっていたが、申し訳ない気持ちから子供たちを探せなかったことも伝えた。息子は何も答えずに聞いているだけだった。

翌日、息子と娘、元妻までが訪れた。彼らは患者の手を長い間握りしめ、ただ涙を流すだけだった。恨みや憎しみよりも、恋しさと切なさが病室に満ちていた。数日後、患者は生涯の重荷を下ろしたかのように穏やかな表情で静かに目を閉じた。

腫瘍内科病棟で患者の世話をしながら、私は最初に家族関係を確認する。誰と患者の状態を相談するのか、患者は最後の瞬間に誰がそばにいてほしいのかを事前に知るためだ。

しかし最近は家族と断絶した独居患者が急速に増えている。誰とも連絡が取れない無縁の患者も少なくない。特に私が働いている江原道にはそういう方が多い。

彼らは年を取り病気になってから家族を探すのは面目がないと言い、むしろ一人で寂しく最後の旅に出ると言う。特に経済的に困難な方ほどそうだ。自分が背負う経済的負担を今さら家族に押し付けることはできないという考えもあるだろう。

そんな方々に最後の瞬間が来る前に勇気を出して「家族」という懐かしい名前を呼べるように手助けすること、それが私がしなければならないことの一つだ。

写真=クリップアートコリア
写真=クリップアートコリア

しかしすべての患者がドラマのようにハッピーエンドになるわけではない。

70代の女性肺癌患者もそうだった。親戚もおらず、兄が一人いたが、ずっと前に亡くなり、役所の職員が家族の代わりに生活を助けている独居老人だった。

抗がん治療中ではあるが、癌が両方の肺に広がり入院を繰り返すたびに状態がどんどん悪化していた。ある日、彼女はベッドの上で背を向けて座り、涙を流していた。

「実は40年前、夫が交通事故で亡くなり、子供二人を義実家に置いてきたの。慶尚道の宗家だったけど、義実家に入って住まないと子供たちに会わせてもらえないと言われたの。でも、どれほど嫁入り後の暮らしが過酷だったことか、涙が止まる日がなかった。末っ子が8歳の時に、江原道の実家に戻った。」

子供たちが大学を卒業し結婚もして、なんとかうまくやっているという知らせは遠い知人を通じて時々聞いていたが、一度も会うことができなかった。子供を捨てていった冷酷な母親だったからだ。

「ちょっとお調べしてみましょうか。お子さんの連絡先が分かれば、私からお伝えしてみますね。」

「義実家で私を悪い女だとずっと罵っていたでしょうから、子供たちが会ってくれるかしら?それでも会えるならいいな。」

役所に患者が家族を探したいという知らせを伝えた。今回の話は奇跡のようには進まなかった。役所の職員が息子と娘を探して連絡したが、会わないという返事が返ってきた。母親や医療スタッフに電話番号を教えないでほしいとも言われたそうだ。0年間も恋しがり、恨んでいた母親が重い病にかかって初めて会いたがるなんて、今の状況を受け入れるのは難しかったのだろう。

「そうなると思っていた。むしろ探さなければよかった。子供たちに最後まで許されないのがとても心が痛い。」

それでも母親の状態を知らせたので、もし気持ちが変われば連絡が来るかもしれないという慰めしか言えなかった。彼は抗がん治療も難しい状態になり、結局ホスピス治療のために別の病院に移された。その後、彼の消息は聞かなかった。後ででも子供たちが彼を訪ねてきたかどうかはわからない。

しかしこの一つだけは信じたい。自分たちを捨てて去ったと思っていた母親が、実は一生どれほど恋しがっていたのか、その切なる思いだけはいつか子供たちのもとに届き、冷たく凍りついていた胸を溶かしてくれたらいいな。

イ・ヨンイ教授 大韓入院医学会広報委員長(江陵アサン病院内科診療教授)

〈編集者注〉

入院専任医(ホスピタリスト)は、病棟に常駐し、最も近くで入院患者の世話をする医師のことを指します。2016年に試行事業として始まった入院専任医制度は、2021年に本事業へと移行し、今年でちょうど10年を迎えます。

「ホスピタリスト日記」は、彼らが病棟で患者に向き合い、治療し、退院させる中で、日々積み重ねる小さな瞬間の記録です。患者や家族、他の医療従事者、そして入院専任医自身への告白まで、この連載(週1回)を通して、病院の中で起こる「人が生きる物語」を読者の皆さまと共有したいと思います。大韓入院医学会のご協力による。

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